近況コラム



2002年9月16日号

過労で脱毛症に…!

 今から2ヵ月ほど前、わたしの身にある異変が起こりました。 実は、生まれて初めて脱毛症にかかってしまったのです!
 それは7月のある日曜日のことでした。 職場のある埼玉から都内の自宅アパートへ帰ろうと、出がけに髪をくしでといていた時、ふっと鏡を見ると、いつもよりも分け目が広がって見えたのです。 わたしは 「ん?」 と思い、念のため、もう一つ手鏡を持ってきて頭のてっぺんの方からじっくりと見てみました。
 するとびっくりしました! なんと前頭部の分け目からつむじにかけて、ざっくりと裂け目が入り、地肌が露わになっていたのです!(写真1 3日後撮影

 「これはひょっとして…!!」 ―わたしは自分の目を疑いました。 まさかこの自分が脱毛症にかかるなんて…。 しかし、鏡ははっきりと現実を映し出していました。
 ショックの後は、「マジかよ…」 というつぶやきが心の中で何度も発せられ、しばらくの間、放心状態が続き、しまいには出かける気力さえも失ってしまいました。

 そういえば、ここ一週間なんだかいつもより風呂場の排水溝が髪の毛で詰まるな、とは感じていました。 しかし、まさか自分の頭がこんな状態になっていたとは夢にも思わなかったのです。 それまではまったく気づかなかったのです。
 いっそこのまま床屋へ行ってきれいさっぱり丸刈りにしてもらおうか、あるいはこのまま押し通すべきかなど、いろいろな考えが浮かんでは消え、浮かんでは消えました。
 そうして鏡の前で30分くらい考え込んだでしょうか。 心はすっかり沈みこんでいましたが、その場はとりあえず気を取り直し、帽子をかぶって外出することにしました。

 都内へ向かう電車の中、あるいは駅から自宅へ向かう道すがら、ずっと心はうわの空でした。 一週間に一度息抜きのために帰る自宅も、今回ばかりはちっともくつろげませんでした。 結局、その日は何をすることなく夜には埼玉へと戻りました。
 「一体どうしたら…」  一日中そればかり考えていたせいで、滅多なことでは気落ちしないわたしも、今回のことだけはさすがに精神的に参ってしまいました。
 ただ、「意志の力で肉体を変える」 ことを信条としているわたしとしては、医者などには絶対頼らず、何としてでも自力で治さなくては、という考えに変わりはありませんでした。 今までもずっとそうしてきたのです。 何か体に問題が起こった時には、まず自己診断を行い、そこから原因を究明し、それに合った対処を自分自身で行わないかぎり根本治療にはならない、というのが、わたしの病気に対する基本的な姿勢です。
 今回も慌てず騒がず冷静になってじっくり考えたほうがいいとの結論に達し、脱毛の原因をあらん限り探ることにしました。

 そこで、早速わたしはその日の夜を徹して、ネットで毛髪について徹底的に調べ上げました。 その結果分かったことは、

  • 頭髪(とくに前頭部から頭頂部にかけて)は女性ホルモンが支配する。
  • 眉毛から下の体毛は男性ホルモンが支配する。
  • 側頭部から後頭下部にかけて、および、もみあげと眉毛の外側1/3は甲状腺ホルモンが支配する。
  • 白髪は女性ホルモンの不足によって、脱毛は男性ホルモンの過剰によって起こる。
  • 女性ホルモンには毛根を安定化させ、強化する作用がある。(したがって、白髪が増えてくると薄毛になりやすい。)
  • ストレスやイライラが慢性化すると男性ホルモンの分泌量が増加する。
  • 去勢された男性は禿げない。
  • 円形脱毛症(いわゆる10円ハゲ)は、ホルモンではなく免疫系の異常によって起こる。

ということでした。

 わたしの場合、前頭部から頭頂部にかけて特に脱毛が激しいので、明らかに男性ホルモン過多が原因と考えられました。 また、脱毛のペースがあまりにも急だったので、女性ホルモンの減少も同時に起こっていると考えられました。
 では、なぜこのようなホルモンバランスの異常が起こってしまったのか。 わたしは必死で原因を探しました。 そして、わたしには思い当たる節が三つあったのです。

 一つは過労です。
 ここ3年ばかりの間、仕事は何回か替ったものの、ほとんど休みらしい休みをとっていませんでした。 学資金や生活費を稼がなければならないという焦りから、それまでは仕事と仕事の合間には、2〜3週間の休みを必ずとっていたのに、それもありませんでした。 また、旅行などの息抜きもまったくありませんでした。 ただ目標に向かって突っ走ろうと心身ともに過度の負担を強いた結果、慢性的な疲労とストレスが溜まり、軽い老人病にかかってしまったのだと直感しました。

 二つ目は、もともと雇用という契約関係の中にいること自体が、わたしの体質に合わなかった、ということです。
 過去の自分を思い返してみると、フリーターを始めた当初(今から13年前)から3年位前までの約10年間は、2〜3ヵ月に一回の割合で職を転々としていました。 とにかく嫌になったら無理して続けようとせず、すぐに辞める、ということを繰り返していました。
 当時は人間不信が強かったから、自分が飽きっぽい性格だから、我慢が足りなかったから、自分に合わない職種だったからだとか、いろいろ考えてみましたが、今回こういう事態になり、やっとその真の理由が分かりました。
 わたしはもともと契約関係の中では生きられない人間だったのです。 わたしが雇用という契約関係の中で生きられるのはせいぜい2〜3ヵ月、それ以上続けると病気になっていたということです。 だからいつもいつも長続きしなかったのです。 そうやって無意識のうちにわたしは自分の体を守っていたのです。
 同僚から冷たくされたわけでもありません。 温かい言葉をかけてくれる人はいくらでもいました。 でも駄目なのです。 2ヵ月位たった頃から、仕事そのものにも、その仕事をしている自分自身に対しても違和感を覚えるのです。 どんなにがんばっても9ヵ月以上続いた試しはありませんでした。 そして、今回の事態は今の職場に入ってから約1年後の出来事だったのです。

 そして三つ目は、外見のせいです。
 もともと背も低く、歳のわりには幼く見られがちなわたしは、仕事をする際にはいちおう年相応に見られなければ居心地が悪いという思いがかねてからありました。 今思えばとんでもない思い込みだったのですが、こうした周りに対する安易な妥協から自己愛が徐々に失われていくということが、この時にはまだ分からなかったのです。
 ですから、3年程前からヒゲを伸ばし、髪型もオールバックにして、少しでも年相応に振舞おうとしていました。(写真22000年10月当時) また、ヒゲを伸ばし始めたのには、自分のヒゲが金髪に変わっていく過程を観察したいという意味もありました。(プロフィール参照
 しかし、これは本来わたしにとっては不本意なことだったのです。 本当は伸ばしたくもないヒゲを目いっぱい伸ばし、本当はしたくもないオールバックを整髪料でガチガチに固める生活を3年間も続けてきた結果、自分自身の本当の欲求と実際にやっていることの食い違いによってホルモンバランスに異常を来し、それが脱毛という現象となって現れた、との結論に達しました。


心のリハビリを開始

 まずはホルモンバランスを正常に戻すことが急務であることは明らかでした。
 そこで、わたしが手始めに行ったのは 「外見の見直し」 でした。 まずはトレードマークだった”金髪のヒゲ”を剃り落とし、さらに念には念を入れるため、全身の体毛もきれいさっぱり剃り落としました。 こうして自分自身の中に眠っていた 「少年の感覚」 を取り戻すことによって、男性ホルモンの分泌を少しでも抑えようとしたのです。

 また、髪型も十代の頃の自分が一番好きだった 「前髪を自然に下ろすスタイル」 に戻しました。 そして、服装も暗くて地味な、いわゆる”オヤジくさいもの”を一切止め、下は、仕事中、プライベートの区別なくGパンで通し、上も、白のサーファーTシャツ、といった若々しいものを積極的に着るようにしました。(ちなみにわたしの仕事は新聞配達ですので、そんなに服装にはうるさくない環境であったことも幸いでした。)

 さらに、普段は人目に触れない下着についても、例えばパンツは 「この歳でブリーフはないだろう」 という理由でここ数年はもっぱらトランクスを着用していましたが、それも一切止めて、すべてブリーフ(ビキニタイプ)に、また、靴下の色はあくまで白という具合に、細かい点に至るまで 「どうでもいいや」 という妥協を一切止め、あくまで自分の第一希望に適う物を新たに買い揃えました。 いわゆる 「形から入る」 という方法をとったのです。 こうして自己愛の度合いを高めることによって、女性ホルモンの活性化を図ったのです。

 こうした過程で、わたしには一つ気づいたことがありました。
 それは、ここ数年間、私生活において鏡に向かってにっこりと微笑みかける機会がほとんどなかった、ということでした。 また、服装に関してもまったく無頓着になっていました。 表向きは 「歳相応に」 とか 「世間体のため」 ということでしたが、その内実は、自分自身の本心を偽り、周りとの妥協ばかり繰り返していたのです。 外見に関して 「これが自分なんだ!」 という攻めの姿勢をまったく欠いていたのです。
 もちろん忙しさにかまけてそんな余裕がなかった、という面もありましたが、そうした守りの姿勢が、わたしの心のあり方から徐々に若々しさを奪い、自己愛の低下を招いたことは明白でした。
 わたしは明らかに自分の容姿が嫌いになっていたのです。 自分の本来好きな外見のあり方を追求しようともせず、安易に大人ぶろうとした結果、自己愛がまったく欠けた状態になってしまっていたのです。 そうした状態が仕事上のストレスと相まって、知らず知らずのうちに男性ホルモンの分泌の活発化、および女性ホルモンの急激な減少という事態を招いたのだと思います。

 今回の事件がなければ、わたしはおそらく何も変わらなかったでしょう。 そういう意味で今回の事件は、そうした危機的な状況をわたしに悟らせるための神からの警告であり、ありがたいメッセージだったのです。
 その真意は、「今の生き方を変えよ!」 「原点に帰れ!」 ということです。 だからこそ、神はそれを不自然なことを重ねてきた罰として 「本人が一番ショックを受けるであろう形で」 わたしに示されたのだと思います。 そうでなければ、わたしはいつまでたっても悟ることがなかったからです。

 幸いなことに、わたしはそのメッセージを素直に受け取ることができました。
 脱毛が顕著になってから1ヵ月後、わたしは仕事を辞め、無期限の休養に入りました。 もちろん受験勉強も全面凍結しました。 もはや何の迷いもありませんでした。 わたしにはまず何よりも静養が必要だったのです。


自らの生き方を変える契機に

 出張形式で埼玉まで仕事に来ていたわたしは、8月初旬に仕事を辞めると、一目散に都内の自分のアパートへ帰りました。 そして、それからの一週間、これまでの3年間の疲れを一気に取り払うかのように、眠れるだけ眠りました。 それはまるで母親の胎内に戻ってきたかのような安らかな心地でした。 こんなにも時間を気にすることなく死んだように眠ったのは久しぶりでした。

 考えてみれば、これまでずいぶんと自分をいじめてきました。 わたしの仕事は”臨配”という普通の新聞配達とはちょっと違う特殊な業種で、人手不足の店に派遣される配達専門の臨時社員みたいなものです。 いわゆる新しい専業さんが来るまでのつなぎ的な存在で、集金、営業をやらなくていい代わりに、休みは一切なし、という過酷な条件ですが、その代わり給料は抜群にいい仕事です。
 これまでいろんな仕事をしてきましたが、臨配が一番キャリアが長く、また給料もいいということもあって、3年ほど前からこの仕事一本で来ました。 店へ入っている間は休みが取れないとはいえ、店から店へと渡り歩く合間には、多少休めることもあって、体の心配はほとんどしていませんでした。

 しかし、やはり目に見えないストレスは溜まっていたのです。 普段の生活では、それほどストレスを感じることはなかったものの、仕事中はどことなくイライラしていたような気がします。(例えばポストに新聞がうまく入らなかっただけで無性に腹が立ったりしていました。) 特に、店に入って半年過ぎたあたりから、そのようなイライラがより一層顕著になりました。
 自分でもなんでこんな些細なことでいちいち腹が立つんだろうと思ったりしました。 仕事がキツイからだろうか、仕事そのものがわたしに合っていないからだろうか、慢性的な寝不足からだろうか、といろいろ理由を考えてみましたが、本当の理由はそんなことではなく、もっと別の、わたしをわたしたらしめているところの根本的な体質と深く関わっていたのです。 それは、今まで数ヵ月単位で転職を繰り返してきた自分のフリーター生活の履歴を見直してみれば、明らかでした。

 すなわち、わたしはもともと 「子供のままでいたい」 体質なのです。 小学生の頃からそうだったのです。 中学へ進学することも、学生服を着ることも嫌でした。 思春期以降どんどん生えてくる自分のヒゲに対しても嫌悪感を抱いていました。
 そうした大人になることへの嫌悪感が、高校の時にピークに達し、ついに耐え切れなくなってわたしは高校を中退したといっても過言ではありませんでした。 その後、大検の資格は一応取ったものの、大学に行くつもりはまったくありませんでした。 少しでも大人には近づきたくありませんでした。
 そんなわたしが社会人として普通に働くことが土台無理なことは明白でした。 背広を着るような職業に就くことは最初から眼中にありませんでした。 高校を中退した後、すぐにわたしの目が海外に向くようになったのも、そうした大人社会に対する拒絶反応を考えれば極めて自然な流れでした。 日本に帰ってきてからも定職に就くような考えは一切ありませんでした。 どんな世間の常識も、あるいは親からの忠告でさえも、わたしの心の奥底に存在する 「子供のままでいたい」 という本音を消し去ることはできませんでした。 だからこそ、わたしはあくまで自分自身の信条を守るためにフリーターという道を選んだのです。

 しかし歳を重ねるにつれて、そうした信条も多少ぐらついてきたのも事実でした。 年齢制限などの問題もあって、そうそう仕事の自由は利かなくなってきた20代後半あたりから、徐々に社会的な圧力のようなものを感じ始め、髪型や服装など、外見上の妥協を余儀なくされる場面も多くなりました。
 しかし、これは自己愛の堅持のためには、本来一番やってはいけないことだったのです。 すべての悲劇は自己愛の喪失から、とりわけ外見上の妥協から始まるといっても過言ではありません。 そうした周りに対する安易な妥協を繰り返していくうちに、自己愛というものが徐々に失われ、若々しさをも奪っていく結果となったのです。
 これまで、ある程度まで社会と妥協しつつも心の奥底ではどこか変だと感じながら生活してきましたが、今回こういう事態に至り、もはや限界であると悟りました。 やはりわたしは本当の自分自身を偽ることはできませんでした。 そうした自分自身の本当の欲求を、世間体によって無理に抑圧しようとしたことの矛盾が一気に表面化したのが、まさしく今回の事件でした。

 考えてみれば、わたしはこれまで自分自身に対して何度も言い訳をし、本当の気持ちを偽ってきました。 日常生活では事あるごとに自分に非があるとか、自分が変わってるからだとか、大人になりきれていないからだとか、そうした自虐的な視点で自分を責めるようなことばかりしていました。 しかし、もうそのように自分を責めること自体が意味のないことなのだと分かりました。
 「わたしはもともとそういう体なのだ」 ―そう考えると、ずいぶん気が楽になりました。
 そして、人間はやはり現実の世界において、他人にどう思われようと、常に 「自分の第一希望」 を実行していかないと駄目なのだということが、今回の事ではっきりと分かりました。
 34歳にして、わたしは再び本当の自分自身と向き合う試練にさらされたのです。 自己愛の欠如を通り越して、自分の顔が嫌いになるくらいにまで自分を追い込んだ末に、わたしは今一度、純粋な自己愛を取り戻す絶好の機会を得たのです。

 そして、わたしは再び現実世界を素直な目で見て見ました。 そうして見た自分自身の姿はまさに惨めそのものでした。
 「なぜ自分はこんなにも大人ぶってきたのだろう」 と、わたしは改めて愕然としました。 そして、今まで学資金を貯めようとあくせく働いてきた自分が滑稽にも思えました。 なぜもっと自分をいたわらなかったのかと思うと、自分に腹も立ってきました。 そうして 「ほんの少しの妥協なら大丈夫だろう」 「いつかは理想の自分になることができる」 とばかりに問題を先送りして、本当の自分自身と向き合うことを避けてきた結果、体のあり方、外見のあり方、そして生き方そのものに至るまで、本来、絶対に譲り渡してはいけないものを譲ってきたのです。 馬鹿だった、本当に馬鹿だった…。

 なぜもっと本当の自分自身と向き合わなかったのか、なぜもっと自分を愛さなかったのか、なぜ歳のわりには幼く見える自分自身に誇りを感じなかったのか、わたしは自分の不明を恥じました。 そして、今まで以上にもっともっと自分を大切にして行こうと決心しました。
 「もはやけっして社会の常識や価値観に囚われまい、妥協しまい」
 「自分が社会のペースに合わせるのではなく、社会が自分のペースに合うよう、社会そのものを作りかえる努力をすることこそ、お前の本当の”生き筋”なのだ。」
 そう固く誓いました。


来年に向けて

 とりあえず、今年いっぱいは療養して様子を見るつもりです。 仕事を再開する場合でも、その時はかつてのように2〜3ヵ月ほど仕事をして、その間、次の仕事までには最低でも3週間は必ず休む、という生活でいこうと考えています。 もちろん収入はガタンと減るでしょうが、健康を維持するためには仕方ありません。 わたしはもともとそういう体なのですから。(むしろ内臓などに疾患が現れなかった分、幸運だったと言えます。)

 ちなみに、仕事を辞めてから約1ヵ月半経った今でも、好きな時に寝て、好きな時に起きて、好きな時に食事をする生活を送っています。 ストレスを極力減らし、ホルモンバランスを正常に戻すためには、これが最適と考えたからです。 あくまで 「自分の」 リズムで生活することが大事であると考えたのです。
 おかげで、今ではほとんど夜型人間となってしまいましたが、本来はこれでいいのです。 人間とて生物なのですから、あくまで自分の本能の赴くままに生活するのが自分にとって一番いいのです。
 ただ、結果がすぐに現れないであろうことを、わたしは覚悟していました。 実際、心のリハビリを開始してから1ヵ月以上経った時点でも、脱毛ばかりが進んで新しい髪がまだ生えてこないため(髪はいったん抜け落ちると休止期に入り、再び生えてくるまでには数ヵ月かかるのです)、地肌がはっきりと目立つ箇所も広がってしまいました。(写真3 8月下旬
 予想では、事態が好転するためには少なくともあと3ヵ月かかると考えています。

 今回の事件は、わたしに老化というものについて、あるいはいかに若さを維持するかということについて、限りなく深い示唆を与えてくれました。 つまり、人間というものはその一挙手一投足において、常に悦びを得ていないと、必ず老化していく、ということです。 これは別な言い方をすれば、常に第一希望で生きていかなければ、将来、体のどこかに必ず障害が表れる、ということです。

 特に、雇用という契約関係の中に身を置いて、自分の第一希望の実行を妨げられている状態が長く続いていると、どれくらいの期間でどの程度の症状が現れるかは個人差があるものの、すべての人間に例外なく何らかの疾患が現れる、ということです。
 もし、嬉々として仕事しているのに体の調子がおかしい、という人がいたら、それはどこかに嘘があるということです。 つまり、本当は休むべきなのに無理をしているか、あるいは、本当の悦び(第一希望)はもっと別の場所にあるということなのです。
 さらに悪いことには、症状が現れた時点では、もうすでに病状は思った以上に進んでしまっているということなのです。 ですから、体に異常が現れたらまず静養ありき、決して無理をしてはいけないのが鉄則です。 病気を治すのには緒戦の療養が大切と言われるゆえんです。
 その意味で、体の状態というのは自分に最も正直であり、自らのあり方についての最も信頼すべき指標なのです。 これについては、このコラムで語り尽くすには余りにも長くなるので、来年まで持ち越しということにします。

 というわけで、来年の新春特別コラムのテーマもほぼ決定! タイトルはずばり 「永遠の若さのために(仮題)」 です。 さっそく原稿の下書きに着手しています。 キーワードは 「自己愛」。 どうぞお楽しみに!



『かんたん!筋肉緊張ダイエット』管理人:Tarchan




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