近況コラム



2004年元旦号

Tarchanより新年のご挨拶

 みなさま、あけましておめでとうございます。
 このHPも来月2月で開設以来8年目を迎えようとしています。 アクセス数もおかげさまで140万件を突破するまでになりました。 ここまで来れたのもHPを見てくださっている皆さんのお力添えがあったからこそだと思います。 ここに慎んで新春のお慶びとともに御礼申し上げます。

心のリハビリ・その後

 心のリハビリを開始してはや1年半。 しかし脱毛症の方は相変わらずで、徐々に快方に向くものと思っていたわたしの期待とは裏腹に、実際のところ、見た目的には発症当初とほとんど変わらない、というか若干悪化してしまったというのが現状です。(写真参照
 しかも、去年の夏から始めた急激な食事制限のツケが現れてしまったのか、最近では頭頂部だけでなく、他の部分の抜け毛がひどくなり、髪全体のボリューム感が出なくなってしまっています。
 これから果たして一体どうなるのか、あるいは、髪の生え替わりのため、一時的に見た目は悪くなりつつも、皮膚の内側では密かに快方への準備が始まっているのか、わたしには今のところ全く見当も付きません。

 ただ一つ確かなことは、一度その機能を失った組織が容易に回復することがないのと同じく、毛髪を作る細胞も一旦その活動を停止すると、新しい髪というのは容易に生えてくるわけではなく、再び活動を開始するまでになるためにはそれ相応の準備期間を要するということなのでしょう。 今までに残っていた長く太い髪も今は生え替わりの真っ最中であり、新しく生えてくる髪はその多くがまるで赤ん坊の産毛のように細く頼りなくなっている現実を考えると、仮に快方に向かっているとしても、おそらく今後数年は今のような状況が続くものと思われます。
 ちなみに、わたしは育毛剤などは一切使用していません。 また、栄養にも特に気を遣っているわけではありません。 あくまで内面からの治療を心がけるようにしています。 育毛剤を使用すると、かえって内側から治す力が阻害されてしまい、それがないと髪が生えない体質になってしまう恐れがあるからです。

 前回の編集後記でもすでに言及しておきましたが、脱毛とは 「自己愛が誤った方向(自分を破壊する方向)に向いていますよ」 という体からの警告とわたしは捉えています。
 その意味で、脱毛や白髪とは単に歳取ったから起こるのではなく、心身症の一種ともいうべきものです。 外見上の変化は心の変化を表す最も重要なバロメーターであり、本人に向けて発せられたメッセージといってもいいでしょう。 だから、たかが髪の毛の問題などと侮ってはいけないのです。
 脱毛の対処法は時間がかかりますが、そのやり方は単純です。 つまり、今まで自己破壊モードへ入っていた自己愛を、文字通り 「自分を愛する方向」 へと変えてやることです。 こうした内面的な努力を数年間粘り強く続ければ、脱毛症はやがて回復する方向に向かうのではないか、というのがわたしの推測です。
 しかし、わたしの場合、自分自身の性格や考え方の中に中学生の頃から始まった自己破壊的な要素がいまだ強く残っており、それがたった1年やそこらの努力では容易に解消されないということ、そのため、これこれの対処法を行ったからといって、すぐに効いてくるわけではない、ということは、ある程度まで予測されたことでした。 「あくまで時間をかけて地道にコツコツと自己愛を本来の方向に向けてやる作業を延々と続けていくしかない。 早くて数年、ひょっとしたら10年近くかかってしまうかもしれない。 しかし、あきらめたらすべては終わりだ。」―これまで何度そう自分に言い聞かせたことでしょう!
 そうした今までの失われた約20年分の自分を取り戻す作業を地道に続けていく以外に、この病気を克服する手だてはない、と肝に銘じ、これからも引き続き心のリハビリを続けて行こうと思う所存です。


わたしのダイエット遍歴

 去年のメンスカデビュー以来、自分自身の生き方や考え方、および自分のダイエット理論を今一度根本から見つめ直す必要に迫られました。 それまでのわたしは自分を甘やかしていた面があるのかも知れません。 つまり理論ばかりが先行し、実際の行動がおろそかになっている自分に気が付いたのです。
 そこで、まず取り組んだのは自身のダイエットでした。
 それまでのわたしは体型的には中肉中背、筋肉も脂肪もほどよく付いた体型でした。 こうした体型はほぼ中学生の頃から一貫して続いており、高校中退直後、筋肉の緊張力と脂肪の付き具合の関係に気が付いた時以来、筋肉緊張は続けてきたものの、実際には、その試みはおろそかになりがちで、相変わらず 「筋肉の緊張を続けているんだから、少々食べ過ぎても大丈夫」 とばかりに、必要以上の食べ物を口にしていました。
 たまに気を取り直して、再び筋肉緊張を続けてみるものの、案の定、三日坊主。 そのうちに面倒臭くなり、そんなしゃかりきになってもしょうがない、そのうちきっと慣れてきて筋肉の緊張も続けられるようになるさ、とタカをくくったまま、のらりくらりとやり過ごしてきた面がありました。
 しかし、この体型ははっきり言ってわたしの理想とは程遠い状態だったのです。 そうして肝心の問題を先送りしてきた結果が、まさに今のわたしの置かれている状況であると言えるでしょう。

 しかし、一昨年脱毛症という人生の重大局面に遭遇し、改めて自分の姿を直視してみると、そのあまりの醜さに愕然としたものでした。 頭髪はもちろんのこと、顔付き、風貌、体格、服装、食生活など、生活環境の隅々に渡るまで、およそ自分の目指している理想とはかけ離れた状況にあることに気づいたのです。
 ここに至って、わたしはハッと目が覚めたのでした。 わたしは明らかに間違った方向に向かっていたのです。
 それからのわたしはあらゆる手段を使ってでも、本来の自分自身を取り戻してやろうと必死になりました。 まずは生活の隅々にいたるまでとことん自分らしさを追及すること、その過程で少しでも自分の中に巣食っている不自然さや醜さを排除することが急務でした。 そうして紆余曲折の末、たどり着いた一つの結論が、去年のメンスカデビューだったわけです。

 初めてスカートを穿いた時の感慨は今でも忘れることが出来ません。 それは今一歩自分の理想へと近づいたという達成感と同時に、自分がいかにいまだ自分の理想とはかけ離れた状況にいるかという絶望感との奇妙な取り合わせでした。 改めて鏡を見てみると、かなり太目感が際立っていたからです。
 ですから、メンスカデビューを果たしてからは、本来ならば筋肉緊張ダイエットではタブーであるはずの食事制限にも取り組みました。 とにかく痩せるためなら何でもやってやろうという気になりました。
 それからは一日一食は当たり前、場合によっては二日に一食ということも度々ありました。 栄養失調でかえって脱毛が悪化する危険性すらありましたが、わたしは真剣でした。 あるいはこのまま死んでしまってもいいとさえ思いました。 「死を懸けてでもやらなければならないものがある。 よし、ならば死んでやろうじゃないか!」 と

 実は、わたしが食事制限までして本気で痩せようと思ったのは今回で2度目なのです。
 一回目は中学生の時。 この時に行ったのは 『中村式ダイエット』 という方法で、最初の1週間にほぼ絶食に近い食事制限を行った後、1ヶ月くらいかけて徐々に食事量を増やし、最終的に痩せやすい体に改善する、というものでした。
 しかし、このダイエットを始めて1週間経った日、わたしは高熱を出してしまい、直ちに病院へ直行する羽目になってしまったのです。 案の定、父からは 「無理なダイエットをするからだ!」 と叱責され、母もそれ以来、ダイエットに協力的でなくなり、ここにわたしの計画はもろくも頓挫してしまったのです。
 思えば、この失敗こそ、後のわたしのダイエットに対する考え方を決定づけたものだったと言えるでしょう。 なぜなら、この時以来、わたしの中では食事制限がタブーとなり、痩せるためには他の方法を模索する以外に手だてが無くなってしまったからです。

 プロフィールには書いてはいませんが、この頃からわたしは過食症気味に陥っていきます。 最初のダイエットの失敗以来、自身の痩せたい願望とは裏腹に、食欲のブレーキが利かなくなり、少ない小遣いの中からなけなしの金をはたいてスーパーで板チョコや菓子パンを買ってこっそり部屋で食べたりしていました。
 中学時代の写真(といっても大半は捨ててしまって今では手元には一枚もありませんが)を見れば一目瞭然なのですが、この頃の体型はまさしくぽっちゃり型。 頬やあごにも見事に脂肪が付き、およそ自分の理想とはかけ離れた容貌でした。

 また、両親がわたしのダイエットに当初から全くといっていいほど協力的ではなく、わたしの心の問題についても関心すら払わなかったことも、わたしの食の暴走により一層拍車をかけました。 高校受験を控えた中3になってもそれは止まらず、わたしの心のイライラは募るばかり。 タバコの味を覚えたのもこの頃です。 わたしは重度の愛情飢餓状態に陥っていたのかも知れません。 この頃のわたしはまさしく何もかも歯車が狂った状態だったのです。
 こうしてものの見事に太った自分。 およそ自分の理想とはかけ離れた自分。 この頃からわたしは鏡で自分の顔さえまともに見られなくなってしまいました。 こうした 「自分の顔をまともに正面から見られない」 ということが、さながら時限爆弾のように、後々脱毛症を引き起こすきっかけになろうとは夢にも思いませんでした…。


まずは食の克服

 親からもダイエットを手伝ってもらえず、生きるすべさえ教えてもらえず、すべては自分で切り開き、模索し、悩み、苦しみ抜いて、脱毛症にかかりながらも、スカートまで穿くようになって(スカートはわたしにとって 「いつでも死ねる服装=戦闘服」 なのです)、ようやく自分のダイエットに真剣に取り組むようになった。 ここまで来るのに一体どれだけの時間とエネルギーを費やしたことか!
 ここで言えることは、人は何か新しいことを始めるためには、実は人が考えている以上の莫大なエネルギーを必要とするということです。 そうした有り余るエネルギーと強烈な動機付けがないと、たちまち三日坊主で終わってしまうものなのです。
 したがって、単に 「痩せよう」 という軽い動機付けだけでは、人は容易にダイエットを成功させることは出来ないのです。 わたしが今まで自身のダイエットをほったらかしにしてあったのも、そうした強い動機付けを得る機会がなかったからに他なりませんでした。

 6月から始まった過酷なダイエットは、心配されたリバウンドも経験することなく、順調に推移していきました。 当初54kgだった体重も、7月に入ると49kg台に突入し、その後約2ヶ月にわたってほぼ1週間に−1kgの割合で体重はみるみる減っていきました。 なお、一般的には食事制限をしても基礎代謝が低下するので思ったほどの効果が得られない、というのが定説ですが、わたしの場合は筋肉の緊張を常に維持していたおかげで代謝率の低下を防ぐことができ、相乗効果となって体重の減少につながったのだと思います。
 その間の食事メニューは、ダイエットを始めた当初は一日二食。 7月半ばで48kg前後になった時に一度停滞期を迎えてからは、一日一食が基本となりました。 空腹時にはなるべく固形物は摂らず液体(水、お茶、牛乳、ココア)で済ませ、どうしても我慢できない時にはカマンベールチーズひとかけらを口にするようにしました。
 前回のHP更新時(7月31日)あたりで念願の45kg台に到達。 サイクリングから帰ってきて鏡を見てみると、なんとまぁ精悍な顔つき! 両頬見事にこけているではないか! しかもまぶたが若干薄くなった感じで、まばたきしてみると、二重の一歩手前までなるほどでした。
 そして、8月半ばには目標体重である43kg台に到達しました。 ちなみに、これがその頃に撮った写真。(改めて見るとちょっと表情が怖い。 それほど鬼気迫っていたということか。)

 この時点で目標体重には一応到達したものの、ここまできたらとことんまで痩せたい思いに駆られていたわたしは、それ以後も一日一食の生活を相変わらず続けました。 そして8月下旬にはとうとう42kg台に突入。 ただ、この頃から食事を抜いても体重は一向に減らず、また、目の奥が重たく感じられるようになり、立ちくらみもひどくなってきました。
 月末、大家さんに家賃の支払いに伺った時に、大家さんがわたしの顔を見て思わず、「痩せたんじゃない…?」 と心配そうな顔をして聞いてきました。 わたしは内心嬉しくなりました。 「痩せた?」 なんて聞かれたことはここ20数年間なかったことだからです。 ただ、そのうれしさとは裏腹に体はフラフラ状態でした。(わたしの痩せ方があまりにも異常だったせいか、大家さんはわたしの栄養状態を気遣って、冷や麦と魚の缶詰を渡してくれた。)

 体がそんな状態だったにもかかわらず、時を同じくして早朝約30分間のランニング&ウォーキングも始めました。 たった30分間にもかかわらず、最初のうちは脚はガクガク、息も絶え絶えでしたが、それでも仕事を再開するまでの約2ヶ月間、一日も欠かさず続けました。 それくらいわたしは痩せたい一心に駆られていたのです。
 そうした努力の甲斐あってか、9月初旬に体重は41kg台に。 さらにもうここまで来たら39kg台を目指してやるっ!とばかりに新たに気合いを入れ直して 「二日に一食」 生活を2回敢行。 その結果、9月半ばには実に何と40.8kgを記録。 また、この頃になると、ふくらはぎもようやく細くなってきたなぁと実感できるようになりました。
 ただ、いつまでも 「二日に一食」 生活を続けるわけにはいかず、ベッドから立ち上がるのも一苦労というような状態にまでなっていたので、ここが限界であることを悟りました。 それが証拠に、この頃からリバウンドの症状が少しずつ現れるようになり、それまで空腹時に一杯で済ませていたココアが止まらなくなったり、食事代わりとしてビッグサイズのアイスクリームを買ってきては一気食いしたりするようになってしまいました。 ただ、この時期のリバウンドは一時的なもので割と症状は軽く、次の日には治まっていました。

 その後、再び一日一食の生活に戻りました。 体重も9月半ばから10月中旬にかけては42kg前後でほぼ落ち着くようになり、たまに食事を抜いたとしても体重はそれ以下に減ることはありませんでした。 もちろん食事制限を行っている間にも筋肉の緊張は常に心がけるようにしていましたので、こうした事実を考え合わせた結果、わたしの健康体重の下限は42kgではないかと推測できました。
 また、体重が落ちていく割には当初は見た目はあまり変わらなかったこと、むしろ、1〜2ヶ月経ったくらいからようやく見た目の変化が現れてきたことなどを考えると、筋肉緊張ダイエットの長所であったはずの 「効果をすぐに体感できる」 という謳い文句も、当然撤回しなければならなくなりました。
 つまり、食事制限によって体重は簡単に落とすことは出来るが、筋肉の緊張によって体脂肪が燃焼され、皮膚のたるみも解消し、本来の意味で細くなったことを実感できるのはもっと先になる、もっとはっきり言えば、細胞の入れ替わりの周期がだいたい3ヶ月であることを考えると、今現在行っていることの効果は、1〜3ヶ月経ってようやく現れる、ということを自分の身をもって改めて体験することが出来たのです。 もちろんこうしたことは科学的には極めて当たり前な事実なのですが、ダイエットのHPの管理人として改めてこうした貴重な体験ができたのも、また一つの収穫でした。

 ここまで来ると、残る心配は筋肉の緊張を維持できるかということ、そしてリバウンドでした。 せっかく食事制限までしてここまで痩せたのですから、すぐに挫折させるわけにはいきませんでした。
 特に食事の量を増やすことに関しては極めて慎重になりました。 実際、ある程度筋肉の緊張が持続出来るようになるまでは食事量を調節することで現状体重を維持するよう努めました。
 わたしには、一度筋肉の緊張が持続出来るようになれば、ちょっとやそっとの過食ぐらいでは容易に太らなくなる、という確固たる信念がありました。 しかし、この時点ではまだまだ不安だったのです。 食事制限によって得られた数字や見た目の効果が長期にわたって安定化されるまでは、なるべく甘いものや高カロリーなものを控えること、つまり自分自身の中で 「よし、もう大丈夫だな」 というゴーサインが出るまでの辛抱と思い、引き続きその後も食事管理と筋肉緊張を徹底するように心がけました。

 そうして、ひとまず目標体重をクリアし、肉体についての新たな見識を得たわたしも、そろそろ仕事を再開しなければなりませんでした。
 今度の仕事も前と同じく臨配。 九月下旬に事務所で面接&登録しておいたのが、数日後には早くも仕事の依頼。 出張先は房総半島のど真ん中にある上総牛久(かずさうしく)というところ。 さっそく荷物をまとめて現地へ。
 実は今回仕事を再開するにあたっては、一大決心が必要だったことはいうまでもありません。 もし脱毛症が悪化したらどうしようか、あるいは職場での人間関係、食生活の問題など、いろいろと悩みの種は尽きることがなかったからです。
 でも、一つだけ前と違っていたことがありました。 それは 「自ら人前に飛び込んでいかなければ、愛は決して得られない」 という新たな信念でした。 これはメンスカデビューをしていなければ得られなかった教訓でした。 以前は極端に人を恐れることが多く、他人から怒りをぶつけられることにばかり気を遣って、肝心の愛を得ることについては全く消極的だったのです。
 しかし、今回は違いました。 これから逢う新たな人々からたくさんの愛をもらおうと希望に胸をふくらませながらの門出でした。 わたしは以前にも増して愛を得ることに貪欲になったのです。

 現地へ着くと店長が車で出迎えてくれた。 店に着いてから店長としばしの間談笑。 会話の途中で年齢を聞かれたので 「35です。」 と答えると、店長がすかさず 「顔が若いね!」 と一言。(嬉しいこと言ってくれるじゃありませんか!)
 その日の午前中に一発で順路を取り、さっそく夕刊から配り始める。 夕刊の部数はさほどでもなく、配達自体は楽だった。 5時頃、無事配達は終了。
 いつもなら店の方で用意してくれる部屋(アパートか店の上)に滞在するのが通例だが、今回は店側の都合で旅館に泊まることになった。
 駅のすぐ近くにあるいかにも昔ながらの古い旅館。 夕刊を配り終え疲れ切ったわたしを出迎えてくれたのは、この旅館のおばあちゃん。 わたしの顔を見るなり、「あれっ、女の子かい?」 と一言。 確かに頭にはピンクのバンダナ、長髪を後ろで一つに束ねているという出で立ちだったので、そう見えたのかも知れない。 つい2,3年前ならいざ知らず、今のわたしにとって、女の子っぽく見られたり、若いと言われるのは最大級の賛辞なのだ。 わたしは内心嬉しくなってしまった。 初日にして早くも二人の人間からささやかな愛を受け取ってしまった。

 次の日、といっても夜中の2時だが、朝刊配達のため店に出勤。 どんな人が待ち受けているのだろうかと、いつもながらドキドキものの瞬間だ。 バイクで店に到着すると、二人の若い店員さんが駐車スペースでだべっていた。 邪魔するのもなんだと思い、そのまま店の中に入ろうとしたら、一人の方が 「おはようございます。」 と挨拶してくれた。 こっちの方が思わず面食らって「あっ、おはようございます。」 ととっさに返す。 ボクの緊張を解いてくれてありがとう、お兄ちゃん!
 わたしの当初の心配は全くの杞憂だった。 旅館での出来事にしろ、この店先での出来事にしろ、こうした初めて出会う人との一見何気ない言葉のやりとりの中にも十分に愛は潜んでいるものだ。 以前はそうした一つ一つのささやかな好意さえも、むしろ嫌みや悪意に取ることがしばしばだった。 だが、今こうして人からの愛情をそのまますーっと心の中に取り入れることが出来るようになったおかげで、自分は明らかに愛を得やすい体質に生まれ変わりつつあることを実感することができたのです。

 それは旅館に滞在している時にも十分感じられました。 旅館に泊まり始めてから1週間くらい経った頃から、旅館のおばあちゃんから頻繁に差し入れを頂くようになったのです。
 わたしは食事は旅館ではなく、近くのスーパーやコンビニで買って食べていたのですが、三日に一遍くらいの割合で風呂上がりにおばあちゃんがわたしの部屋を訪れては、「これ食べなさい」 とクリやイモ、お赤飯などを持ってきてくださったのです。 わたしが喜んで食べたのは言うまでもありません。 しかもこれがまた美味しいのです。 やはり食べ物というのは与える人の愛が込められたものほど美味しく感じられるものなのだなぁ、とつくづく思いました。 どうもありがとう、おばあちゃん! ここでもわたしはまた一つ愛を溜め込むことが出来たのでした。

 出張中も、基本的に一日一食のスタイルを崩しませんでした。 また、一日二食にする場合でも、お腹がぐーっと鳴るまでは決して食べないことを心がけました。
 そうした日々の努力と、新聞配達を始めたおかげで運動量もぐんと増えたせいか、この頃になると、特に太ももの内側と足首がダイエットを始めた当初よりもだいぶ細くなりました。 旅館のお風呂場の中にある大きな鏡で自分の脚を見た時には、思わず 「細っ!」 と叫んだくらいです。 こんなにも細くなった自分の脚を見たのは、ひょっとしたら生まれて初めてだったかも知れません。 あのお風呂場で味わった悦びと感慨は、今でも忘れることはできません。 わたしの過酷なダイエットの成果が、ここへきてようやく実を結んできたのです。

 11月上旬、ひとまず上総牛久での仕事が終わり、そのまま休む暇もなく翌日には次の仕事場である津田沼へ直行。 今度はどんな人たちが待っているのだろう、どれほどの愛を受け取ることが出来るのだろうと期待に胸を弾ませる。
 11時に店に到着。 午前中に順路を取り、さっそく夕刊を配達。 今度の区域は結構きつい。 夕刊だけでも2時間たっぷりかかってしまった。 明日の朝刊配達が思いやられる。(実際、次の日の朝刊は8時半まで配る羽目になった。)

 店に入って1週間経った頃、それまではあまり口も聞かず、どちらかといえばきつい感じの印象を持っていた主任さんが、こちらに頻繁に話しかけてくるようになった。 仕事中、わたしのために場所を空けてくれるよう他の店員さんに指示したり、軽い世間話もするようになった。(ちなみに主任とわたしは同年代) どうやらこちらに好意を持ってくれたように思えた。
 実はこの数日前、ほんの些細なことなのだが、主任さんのちょっとした冷たい態度にわたしは愕然となって、店を逃げ出したい気分に駆られたことがあった。 もちろん以前のわたしならここで何のためらいもなく逃げ出していたかも知れません。 そうして、受け取れるはずだった愛をみすみす逃してしまうことになったでしょう。 だが、今回は違いました。 もうちょっと様子を見てみようという気になったのです。

 この店で最初に得た教訓は、人の愛が見えるまでには最低でも三日はかかる、ということでした。 特に最近は、滅多なことでは他人に心を開いてくれない人が大勢いるものです。 そういう人に対しては、まずこちらから心を開いておかねばなりません。 自分が常日頃から愛が欲しいという姿勢を示しておくこと、そういう姿勢を態度や服装などで明確にしておくことが重要なのだということを、改めて認識したのでした。
 主任さんがわたしに好意を持ってくれたのも、そうしたわたしの日頃の努力が功を奏した結果だと思っています。 もし、あそこで逃げ出していたら、また以前のような愛を受け取れない自分に逆戻りしていたことでしょう。 それを考えると空恐ろしい気持ちになります。

 こうした経験をふまえたおかげで、新しい職場環境での緊張が解けたわたしは、以前にも増して自分らしく振る舞えるようになりました。 仕事中にも婦人用のダウンジャケットを平気で着るようになりました。 わたしくらいの体格だとメンズのジャンパーではぴったりのサイズがなく、婦人の9号が一番しっくりするのです。 そうしたことがまた他の店員さんの目にも留まり、そこから話題も広がります。 自分らしく生きるとこんなにも居心地のいい空間が広がるものなのだということが改めて実感できました。 こうしたこともこの店で得られた収穫の一つでした。

 仕事を再開して以来、わたしは一つの重要なことに気づきました。 わたしは以前ほど人を恐れなくなったことです。 それまでは挨拶一つ行うのにさえビクビクものでしたが、今ではさほど苦痛ではありません。 挨拶する時はするし、しない時はしない。 たとえ挨拶を返されなくても気にはしないし、腹も立てない。 以前なら、人からちょっと冷たい態度を一回でもされただけで、すぐに悪意に取ったり、必要以上に腹を立てたり、いじけたりしていましたが、そういうこともなくなりました。 ほんの些細なことかもしれませんが、かねてより重度の人間不信に陥っていたわたしにとっては、これは大いなる進歩なのです。

 人を見る目も寛容になった気がします。 「人の愛が見えるのは最低でも3日、長くて3ヶ月」 という一つの基準も得ることができました。
 わたしは明らかに愛を得やすい体質に一歩近づいたのです。 実際のところ、わたしの人間不信の根はまだ絶えているわけではなく、時たま顔を出してしまいます。 しかし、その割合も近頃ではめっきり減ったような気がします。
 わたしが本気で愛に生きようと思ったのは、わたしの人生の中ではつい最近、ここ3、4年のことです。 それが二年前の岩月教授の本との出会いによって一気に加速されました。 それまでは思春期以来の人間不信のおかげで世の中の誰も彼もが敵に見えるという状態が20年近くも続いたのでした。 こうした長く辛い人間不信の歴史が、いまだわたしを苦しめているといっても過言ではありません。
 でも、今こうして日常生活においても、ホームページという仮想現実の空間においても、毎日少しずつ愛を溜め込み、愛に生きるすべを憶えていくことが、今のわたしにとってはこの上もない幸せなことなのです。

 この店での仕事を始めてからようやく気持ちの落ち着きを見せたところで、そうした安心感のせいか、あるいはきつい配達が続き、体の疲労がピークに達したせいかは分かりませんが、店に入って2週間くらい経ったある日、なぜかその日は甘いものや脂肪分が無性に欲しくなり、ついつい口にしたアイスクリームが止まらなくなってしまったのです。 実に食事制限を始めてから5ヶ月目にして始まった最初の本格的なリバウンドでした。
 ちなみにその時に口にしたのは120gのカップ2つと470gの大型カップ1つ。 その日はとりあえずそこで治まりましたが、翌日になっても、さらにその翌日になってもアイスクリームに対する執着は一向に衰えず、食事の代わりにアイスだけを食べるという事態にまでなりました。 ちなみに、わたしは店の3階に住んでいたのですが、店の目と鼻の先に24時間営業のコンビニがあることも、わたしにとっては致命傷でした。

 数日後、とりあえず一旦は治まりました。 しかし、以前よりも食欲のブレーキの利きが甘くなったのも自覚しました。
 こうして嵐のようなリバウンドを経験した結果、さぞかし体重が増えているだろうと3日後に計ってみると、案の定、体重は1kgほど増えていました。 ただ、自分が予想していたよりも体重の増加が少なかったことで、妙な自信が付いてしまい、これが結果的にリバウンドからの回復を遅らせることになってしまったのです。
 12月に入っても度々リバウンドは続き、アイスクリームへの執着が無くなったかと思えば、今度はチーズケーキへの執着が始まる、といった具合に、その症状は周期的に現れ、止まるところを知りませんでした。
 体重もじわじわと増え、一時は47kg台まで逆戻り。 顔のラインもふっくらとなり、さすがここまで来るとわたし自身の中で非常事態宣言が出たのか、12月の半ばにはようやく収束の方向に向かうようになりました。

 こうした中で、わたしは食の暴走が起こって自己嫌悪の念に苛まれる度に、自分の中で何が起こっているのかを考えてみることに努めました。 何かがおかしい、だからこそリバウンドが起こっていることは明らかだったからです。
 それまでのわたしは、食事はもっぱらスーパーやコンビニの食材で済ませていました。 もちろんなるべく出来合の弁当などは買わず、栄養の配分を考え、それなりに工夫した食材を買い求めてはいました。
 しかし、どこか物足りないのです。 味気ない生活…まさにそういう表現がぴったりだったのです。 おそらくそれが一つの原因ではないかと考えました。 なぜなら、リバウンドの最中は何を食べても本当の意味での満足感や満腹感が得られなかったからです。 逆に、上総牛久の旅館に滞在している時にはリバウンドは起こりませんでした。 おばあちゃんからのささやかな差し入れだけでも十分に満腹感を得ることが出来ていたからです。
 この時、わたしはハッと気づいたのです。 「食事には愛が欠かせないのだ」 と。
 思えば、これまでどれほど 「心のこもった食事」 から遠ざかっていたことだろう。 スーパーやコンビニの陳列棚に並ぶ食材に頼り切りの生活にこれまで何の疑問も抱かずに生活してきましたが、今回このような激しいリバウンドを経験したことによって、ようやく自身の食生活を見直す必要に迫られているのを、この時ひしひしと感じたのでした。

 もっと食事に愛を感じること、これがわたしの新たな課題となりました。
 かねてよりわたしは、人間にとって食事が直接 「無償の愛」 と結びついていないのは致命傷であると考えていました。 人間が口にするものはすべてが商売上の取引によって得られたものであり、自然の恵みをそのまま口にするという機会は滅多にありません。 だからこそ味に深みがない、まずい、満腹感が得られないという事態が起こります。
 人間以外の生物の場合は、食事すること=自然の恵みを得ること=無償の愛を得ることにつながっています。 人間以外の生物にとっては、食事をすること=愛を取り入れることそのものなのです。 食事する度に愛が得られるのですから、愛が枯渇することはありません。 そのため必要以上に摂取することもありません。  いつでも適正量に保たれています。 これが人間とそれ以外の生物の最大の違いです。
 人間の場合、親元にいる間は食事は親から無償で提供されます。 いわゆる 「おふくろの味」 が美味しいのは、味自体が旨いからではなく、それが無償で与えられるからであり、愛情が込められた料理だからです。 どんな高級な料理でもおふくろの味に敵わないのはそのためです。
 しかし、親元を離れて以降は、すべて有償で、すなわちお金を払って得られたものを口にしなければならなくなります。 どんなに作り手が心を込めて作っていようとも、対価を求めた時点でそれは無償の愛ではなくなります。 つまり見返りを求める愛によってのみ食べ物が与えられます。 食事が直接、無償の愛と結びつかなくなるのです。 わたしは老化の原因は、案外ここら辺にあるのではないかと疑っています。

 そこで、まずは食事に愛を取り戻すことが急務だと感じたわたしは、リバウンドを経験して以降、とりあえずスーパーやコンビニで食材を買い求めることを止めました。 そして当座は、街の定食屋さん、しかも夫婦で切り盛りしているような、家庭的で温かな雰囲気を持った店でなるべく食事をすることにしました。 そこでならお金のやりとりとは別のところで何ほどかの愛を得ることが出来るだろう、作り手の熱い思いを受け取ることが出来るだろうと考えたからです。
 もっとも、これはわたしの中ではあくまで緊急措置に過ぎないものです。 本当のことを言えば、そこら辺に生えている草木でもいい、そこら辺に実っている木の実でもいい、そこら辺に飛び跳ねている昆虫を捕まえてもいい、あるいは川や海へ行って魚を捕るのでもいい、弓矢を使って動物を狩るのでもいい、そうした自然のあるがままの恵みを自分で採ってそのまま口にするのが一番いいのであり、それが人間本来の姿なのは言うまでもありません。
 ただ、今のわたしは残念ながらそうした生活をすぐに始める手段を持ち合わせてはいません。 また、仮にそのような手段を持っていたとして、わたしだけが実践していても意味がありません。 あくまで人類全体がそのような自然の摂理に即した生き方を実践することが必要だと考えています。
 そうした生活にたどり着くためにはどのようにしたらよいか、どうしたら人は本来の自然なあり方を取り戻すことが出来るのか。 そのための最も有効な方法を模索し追求すること、これがわたしにとって今後の最大の課題となるでしょう。

 クリスマス前の22日に津田沼での仕事が終了。 それまでにも主任さんから度々店にアルバイトとして残るよう引き留められていたが、わたしには臨配が一番合っている旨を伝え、丁重にお断りする。 しかし、本当は嬉しかった、そうやって自分が必要とされていることが。
 だが、わたしはどうしても一つの所に留まることが出来ないジプシー的な気質を持った典型的なB型人間なのだ。 これはどうしようもないことだ。 わたしはもっともっといろんな人と会ってたくさんの愛を得なければならない。 ともかく引き留めてくださってどうもありがとう。 その気持ち、いつまでも大事に取っておきます。

 臨配の事務所からは新たな仕事の依頼も来ていたが、HPの更新日が間近に迫っていることもあり、わたしはここで一段落つけることにした。 今のわたしにとっては、お金を稼ぐことよりも、自分の悦びに時間を割くことの方がはるかに大事なのだ。 仕事を再開してから約2ヶ月、ほんのしばらくの間だったが、いろいろと新たな見識も得、愛を溜め込むことも出来たと思う。
 翌日、都内の自分のアパートに帰り、しばしの休息。 そして、さっそくHPの更新作業に取りかかった。


人間本来のあるべき姿

 人間にとって食の問題は避けて通ることの出来ない根本的な問題です。 特に現代では、いかにして食糧を確保するかという問題の他にも、「いかにして本来の健康的な食のあり方を取り戻すか」 という問題が関わってきます。
 そして、それは単に食欲を満たすことと同時に、愛をいかに取り入れるかという、人間が生きていく上で最も重要な問題とも深く関わっていることでもあります。 今日、あまりにも多くの人々がダイエットや摂食障害の問題に悩まされていること、およびそれが愛情飢餓の問題と深くかかっていることを考えれば、食の問題はもっと 「人の生き方そのもの」 の問題として真剣に論じられるべきものであると思います。
 人は人との関わりの中で生きていく以上、単に食欲を満たしただけでは満足できません。 そこに愛がないと、人はたちまち愛情飢餓に陥ってしまいます。 これは社会生活を営むという、まさに人間にのみ現れる特殊な現象なのです。

 人はとかく心の寂しさを食で穴埋めしがちです。 食によって埋め合わせるのが一番簡単な方法だからです。 食の基本はあくまで 「お腹が空いていれば食べる」「お腹が空いていなければ食べない」 というものですが、現代においては、こうした単純な道理でさえ、ちょっとしたことがきっかけですぐに崩れてしまいます。 わたし自身がまさにそうでした。(たかが食欲というなかれ! 食欲を正常に保つというのは、実は想像以上に大変なことであり、一度狂ってしまった食欲を正常な状態に戻すためには、実は莫大なエネルギーを必要とするのです。)
 肝心な部分が狂っているのを安易な方法で蓋をしてしまうというのは、あらゆる嗜好癖に共通して言えることです。 人によってはそれが酒・タバコに向かったり、ドラッグに向かったり、あるいはお金(ギャンブル等)に向かったりしますが、そのすべての底にあるのは、自分に足りない何かを 「他のもの」 によって埋め合わせているということなのです。

 しかし、本当に欲しいのは悦びや愛情であるはずです。 これは誰もが心の奥底で薄々感じていることに違いありません。 なのに、それをなぜ簡単に他のものに置き換えてしまうのでしょうか。 なぜ人間だけがそうなってしまうのでしょうか。
 自然の摂理に即して生きていないからです。 不自然な生き方をしているからです。 そして、そういう不自然なことを重ねている自分を直視する勇気を持たないからなのです。
 自然界から無償の愛(生きるためのエネルギー)を得ることの出来る唯一の方法、それは、自然のおこぼれを頂戴するという方法、すなわち 「狩猟・採集」 だけなのです。 農耕も牧畜も、どちらも 「これだけ耕しているんだから…」 「これだけ世話してやっているんだから…」 という見返りを求める愛から発生したものです。 だからこそ、どんなに働いても、どんなに安定した食糧供給があっても、けっして生きるためのエネルギーとはなりえないのです。

 自然の摂理に逆らった生き方をしている限り、自然の恵みから直接エネルギーを取り入れることは出来ません。 生きるためのエネルギーはあくまで他の人間からもらわなければならなくなります。 やっとの思いで他の人から手に入れたエネルギーも、ふとしたきっかけで誤った方向に使われがちです。
 したがって、人は滅多なことでは心が満たされることがなくなり、すぐに愛情飢餓に陥ってしまいます。 それが体の老化にもつながります。 食事が自然の恵みと直接結びついていないことから起こる人間特有の現象です。 社会という仕組みが人間と自然の恵みとの結びつきを希薄なものし、その生命力を奪ってしまうのです。

 愛情飢餓に陥った人間たちは不自然な生き方をしている自らの過ちを顧みることもなく、ただひたすら己の命を食いつなぐことにのみ心を奪われ、自然の恵みに感謝することさえしなくなります。 むしろ、まだまだ愛が足りないとばかりに、どんどん草木を切り倒し、海や山や川を荒らし、空気をも汚します。 それがいずれ自分の首を絞めることになろうなどとは夢にも思わなくなるのです。 考えてみれば恐ろしいことです。 自己破壊をまさしく地球という単位で大々的に行っているのですから。
 こうした問題を一挙に解決するためには、人はもう一度ヒトに戻るか、あるいは今までの人類とは違う、全く新しいタイプの人類になる道を模索するか、というまさに究極の選択を迫られているところまで来ていると、わたしは思います。

 今、地球上には人が溢れています。 ですが、人は溢れているのに、肝心の愛が足りません。 だからこそすぐに殺し合いになります。 愛に生きる人間はごく限られた少数派になってしまいます。
 地球が有限であるかぎり、地球上で生きられる生物の数にも限りがあります。
 だからこそ、自然の摂理に即して生きる生物のみがひとえに生き長らえることができるのです。 自然界はもともとそういう風に出来ているのです。 人間の場合で言えば、ただひとえに愛し愛される能力のある者だけが生き長らえることが許されるということです。 愛し愛される能力のない者には、ただ死あるのみ。 それが自然の摂理というものなのです。

 人は自然の摂理に即したものを 「美しい」 と感じ、逆に、不自然なものを 「醜い」と感じます。 それゆえ、不自然なことを重ねれば、人は醜くなり、病気になり、老い、死に近づくように出来ています。
 わたしはこのHPを通じて、そして、わたしの肉体の限りを尽くしてでもこのことを訴え続け、少しでも人類が良き方向へと導かれんことを切に願わずにはいられないのです。



『かんたん!筋肉緊張ダイエット』管理人:Tarchan




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